こんにちは、堀です。
20歳でてんかんを発症し、そのまま流れるように双極性障害となり今は25歳で普通に働くところまで回復しました。
この記事は、私と同じような病気になってしまった方へ向けて書きました。
- 「自分以外にもこんな体験をした人がいるんだ」
- 「自分だけが不幸じゃなかったんだ」
と思ってもらえたらうれしいです。
ぜひ最後までご覧ください。
双極性障害は、時間をかけて“受け入れていく”ものだと思う
最初に私が双極性障害だと診断されたときは本当に実感がわきませんでした。
というよりも、そのときはうつ状態だったため感情があまり動かず、何を言われてもピンとこなかったのかもしれません。
その後躁状態になった時も躁の症状のせいか「今はこんな元気だし余裕でしょ!」くらいに思っていて、病気だという感覚はまったくありませんでした。
それでも、躁とうつの波を何度も経験するうちに、ようやく「自分はこういう病気なんだ」と理解するようになり、「この症状とどう付き合っていくか」を考え始めるようになりました。
今でも完全にコントロールできているとは言えません。
でも、「自分を理解すること」「受け入れること」こそが、私にとっての大きな変化でした。
なぜ、双極性障害を受け入れるのが難しかったのか
双極性障害を受け入れることが難しかった理由は、冒頭でも触れた「てんかんを発症したこと」が大きな影響を与えています。
当時、てんかんになったことが本当に嫌で、どうしても認めたくありませんでした。
そして、てんかんがきっかけで発症したであろう双極性障害も同様に認めたくなかったんですね。
てんかんを発症してから医者から色々な制限がかけられました。
例えば、
- 車の運転ができない
- 家に一人の状態でお風呂に入ることができない
- 夜更かしができない
- お酒は極力控える
など、「今まで当たり前にできていたこと」が次々に禁止されるようになったのです。
双極性障害の診断を受けたとき、私は心の中でこう思っていました。
「また新しい制限が増えるのか」「もっと自由を奪われるのかもしれない」と。
つまり、「病気を受け入れること=自分を閉じ込めること」のように感じていたのです。
だからこそ、なかなか受け入れられなかったのだと思います。
受け入れるまでにあった具体的な出来事
病院を変えたことで、少しずつ回復への道が開けた
私がうつ状態のときに通っていた病院では、医師の対応が怖く、薬の副作用もあって思考がどんどん悪い方向に向かっていきました。
反芻思考が止まらず、「なんでこんなふうになったんだ」とばかり考えていました。
でも病院を転院し、落ち着いた雰囲気の医師と出会い、薬の内容も変わったことで、少しずつですが気分が安定していく感覚を得られるようになりました。
「病院を変える」というのは少し勇気がいることかもしれません。
でも、先生との相性や薬の種類は人によって合う・合わないがあるので、私にとっては思いきって転院したことが正解でした。
今思えば、「セカンドオピニオン」という考え方をもっと早く知っていれば、気持ちが少しラクになったかもしれません。
躁状態の自分が、うつ状態の自分に深い傷を残す
躁状態のときには、自分でも「なぜあんなことをしたのか」と後で思うような行動をとってしまいました。
たとえば中学時代の女友達にいきなり連絡して恋愛の紹介をお願いしたり、情報商材に150万円近くを使ってしまったり…。
どれも躁のときには「いける」と思っていたけど、うつ状態に戻ったときには、強い後悔と自己否定がのしかかってきました。
自分を受け入れられたのは、人との出会いがあったから
ある日、自分と似たような境遇を持つ人たちと出会い、
「この人たちも同じように苦しんでいたんだ」と思えたことで、
自分の中で少しずつ「自分も責めすぎなくていいかもしれない」と思えるようになりました。
一人ひとりの話が印象的でしたが、共通していたのは「それでも前に進んでいる」という姿。
それを見て、自分も「受け入れたうえで、後悔しない選択をしていこう」と、少しずつ考えられるようになりました。
いま、同じように悩んでいるあなたへ
双極性障害を受け入れるまでの道のりは、決してまっすぐなものではありませんでした。
てんかんを発症したときから始まり、双極性障害の診断、薬の副作用、感情の波、失敗、後悔──
いろんなことがあって、何度も「もう嫌だ」「なんで自分だけ」と思いました。
でも、病院を変えたこと、いろんな人と出会ったこと、そして何より自分自身と向き合う時間を重ねたことで、
「こういう自分もいていい」「これも自分の一部なんだ」と思えるようになりました。
そしてもうひとつ、受け入れたあとの日々で気づいたことがあります。
それは、躁とうつの波を何度も経験するうちに、少しずつ“慣れ”のようなものが生まれてきたことです。
もちろん苦しいことに変わりはありませんが、「ああ、またこの感じか」「この後に来るのはたぶんこうだな」と、冷静に自分を見られる場面が増えてきました。
それが、少しだけ生きやすさにつながっている気がします。
いまでも完璧にコントロールできているとは言えません。
でも、「受け入れる」「理解する」「少しでも後悔しない選択をする」。
それだけで心の負担はずいぶん変わってきました。
もし、今この記事を読んでくれているあなたが、少しでも自分を責めていたり、
「このままではダメだ」と感じているなら、まずは自分の状態を否定しないであげてほしいです。
そして、病院を変えてみること、誰かに相談してみること、セカンドオピニオンを求めてみること、そういう選択も“逃げ”ではなく、“前に進むための一歩”だと、私は思います。
私の体験が、ほんの少しでもあなたの気持ちを軽くできたなら、それだけでこの文章を書いた意味があります。
この記事を読んで感じたことや、同じような経験があればぜひコメントで教えてください。
すぐに返事できないかもしれませんが、できる限り丁寧にお返ししたいと思っています。
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